ペンキの剥がれ落ちた薄紫の壁。噛みタバコを吐いたのだろう無数の染み。 明かり取りの細長い小さな窓。“ブンブン”と音をたて、湿った空気をただかき回す為だ けの天井ファン。どう見ても独房にしか見えないこの安宿の一室を抜け出すことから一日 が始まる。 井戸水を手動ポンプで汲み上げ、体を洗い歯を磨く人や、路上に散らかったゴミを清掃し てまわる人。そんな朝の支度を始めた街や、モルタルが剥がれ落ち、赤茶色のレンガが剥 き出しになった建物の並ぶ街を横目に20分ほど歩くと、“マザーテレサズ M.C”と書 かれた茶色の大きな扉の前に立つ。 扉を潜ると、そこは国籍を問わぬ多くのボランティアたちが、朝食のミルクティーの入っ たコップとパンを手に取り話している。自分もその中へ入っていく。 “シシュバワン(孤児院)へ行きたいのですが?” “男の人は行けないですよ。”日本人女性が優しく答えをくれた。 “3年前来たときは、行けたんやけどな〜。” “でも、今はすごく厳しくて、この前内緒でボランティアしていた人がシスターに酷く叱 られてましたよ。” “じゃあ、シスターに聞いてみます。” やはり、シスターの答えもノー。そして理由を聞くが納得のいく答えは返って来ない。 どうも、口を濁す感じがした。(何か、あったのだろうか?) 後に、シシュバワンに行っている女性に聞いた話だが、ボランティアに来ていた男性が、 何人かの子供達を連れ去ってしまったそうだ。 (噂話なので、話の信頼度は100%ではない。) それ以後、男性ボランティアは厳禁とされ、修道院からバスで30分程離れた場所にあっ た施設も、絶えず門番が立つ修道院内に移された。 3年ぶりに子供達に会えることを楽しみにボランティアに参加しただけに残念だが、見学 は出来そうなので、午後にでも行ってみることにした。 韓国から来ている大学生達に孤児院とは別の施設に連れて行ってもらった。 マザーハウスからローカルバスと徒歩で30分程度、その施設は手工芸品などを売るバザ ールの一角にあった。 初日、まず何をして良いのか分からない。物の場所、仕事の内容、段取り。 全てがあやふやで、あたふたしていると先輩ボランティアが教えてくれる。 午前のボランティアの内容は、朝食の片付け、食器洗い、部屋の掃除、ベッドメイキング、 薬の配給、患者へのマッサージ、洗濯、昼食の配給、片付け。 フロアは、男女に分けられ、女性側は見ることは出来なかったが、フロアには鉄製のパイ プベッドが60ほど置かれ、壁の色やベッドのシーツは皆、緑色に統一されている。 自分の安宿よりよっぽど綺麗だと思うと、ちょっと悔しい。 “ちょっと、手伝ってくれないか?” 持ち場を離れられないで、洗濯物を踏んでいる自分の後ろを白人が一人、 十字架の掲げられた部屋へ入って行った。 間もなく、緑色の簡素な担架が運び出されてきた。 上に白い綿の布に包まれた、小さく小さくなった死体が乗っていた。 振り向いたまま、しばらく目で追った。 先ほどマッサージをしてあげたほとんど骨と皮だけの老人が頭に浮かぶ。 あの老人も何日か後にはこの部屋に、、、、、。 この日、もう一体。計2体の死体が運び出された。 この施設をカーリーガート(別名 死を待つ人の家)と言う。 |